Outline : Department of Production Program

授業風景

監督領域 Directing Course

映画のプロに必要なのは
「作家性」だ

黒沢 清 教授

作品を作るというのは恐いことだ。どんなに隠そうとしても,作者が何を考えている人間か,世界とどう接して生きているのか,そういったことが,それはもう恥ずかしいくらい臆面もなく透けて出る。だから映画作りを志す若者が鍛え上げねばならないのは,何よりもまず「作家性」だと言える。そして,おそらく将来にわたって,この「作家性」こそが強力に自身を支え,どんな逆境の中でも作品を作り続ける最も基本的な原動力となるだろう。こういう人生を選んだ人間を,私はプロ中のプロと呼びたい。

ただ金を儲けようとする態度,それをプロとは呼ばない。そういう人間は金が儲からないとみるや,たちどころに映画から遠ざかっていく。また,世間でいっぱしの映画人として認められようとする態度,これもプロとしてはどうでもいいことである。世間に合わせて作った作品は,世間から捨てられたとたんに終わる。

私が望むのは,「何があっても映画を撮り続けろ」ということだけである。

映画にはそうするだけの価値があり,そのために必要なのは金でも世間でもなく,自分自身だ。あなたは映画を通して全世界を知り,全世界は映画の名を借りてあなたを抑圧し,両者が激突するところに作品が生まれる。そして,このようにして鍛えられるあなた自身のことを,つまり「作家性」と呼ぶ。

脚本領域 Screenwriting Course

不良にして,
誰のものでもない「私」であれ

筒井 ともみ 教授

どう生きるかではなく,なぜ生きるのか。
どう書くのかではなく,なぜ書くのか。
なぜ,あなたは,書こうとするのか。
作家魂にとって大切なのは「How」よりも「Why」。
もしも魂なんて関係ない脚本家になるのなら,技術や方法論を教えてくれる場所が他にいくらでもあるはずだ。
でも,この馬車道に建つ,高い天井を持つ学舎(マナビヤ)で2年間を過ごすのなら,たとえちっぽけであっても魂こそが大切なことを感じてほしい。他と比べたりせず,他と違うことを畏れたりせず。
たぶんそんな輩やからは「不良」と呼ばれるだろう。けっこうじゃないか。うんと勉強して,ステキな不良になってやろうぜ。 そのために私ができることといえば,自分を正直にさらけ出して,一緒に悩んだり感じたり喜んだり,発見したり。あ,それからおいしいものを一緒に食べたり飲んだり。それくらいかな。
この学舎にきて,仲間との出会いや付き合いも大切かもしれないが,表現することや創ることは,結局はたったひとりの「孤独」の中からしか生まれないことも強く感受してほしい。

プロデュース領域 Producing Course

造りたい,造らせたい映画のために,
プロフェッショナルな判断力と情熱を

堀越 謙三 教授

120年前に遡る東京美術学校の創立以来,理論よりも「造ること」を中心に据えてきた本学が考えるプロデューサー像とは,まず映画造りのプロセスに習熟し,創造的に参画することによって他のスタッフと映画を共作できる人間であり,その上で製作資金を調達するノウハウと,映画を可能な限り幸福なかたちで世の中に送り出す情熱をもった人間,という何とも欲張りな話なのだ。

本映画専攻製作領域がクリエイティヴに重点を置く理由はもうひとつある。ビジネス的知識は社会で実践を積めば自然に習得できる。しかし共同作業の映画を「造ること」を学ぶには,意欲に満ちた仲間と機材と何よりも時間が要る。それには学生という立場が圧倒的に有利である。

映画の企画開発・制作に毎年半年を費やすのはそのためで,残りの半年で企画戦略,法務,流通システム,国際共同製作,映画の規模やスタイルに応じた戦略を学ぶ。それも机上の学習だけでなく,自分たちの企画を仲間に脚本化してもらい,企画書を片手に企業等を巡って資金を集め,映画化し,劇場に配給するという実習も組まれており,映画の企画から劇場公開までの全プロセスを,ビジネスの場で経験することができる。

また,毎年夏には韓国映画アカデミーの製作コースの学生と「Producers Workshop」を行うほか,プサン映画祭,山形ドキュメンタリー映画祭への研修旅行も実施される。

東京藝術大学だからといって,いわゆるアート系の映画製作だけを目指すわけではない。ナラティヴな作品であればジャンルや方向性,スタイルは全く自由。求められるのは,自分が造りたい映画を現実化しようとする,あるいは好きな監督のために最善の制作環境を作ろうとする,プロフェッショナルな精神である。