東京藝術大学大学院 映像研究科映画専攻 第五期生修了作品展

2011年7月7日[木]▶15日[金]|ユーロスペース[渋谷] 連日21時よりレイトショー公開 前売り券800円|当日券900円|4回券3000円 *前売り券、回数券ともに劇場窓口にて販売

映画専攻第五期生修了作品展開催についてのご挨拶

この度の東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様方に対して、心からお見舞い申し上げます。 東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第五期生による修了作品展は、東日本大震災による影響を考慮した上で、当初3月の開催より延期しておりましたが、この度、諸関係者のご協力の下、開催の運びとなりました。

私たちは2年間の修士課程のなかで、映画という表現と向かい合ってきました。様々な領域をとおして完成される映画という芸術は、まさに個人を超えたひとつの運動体となって生まれます。その軌跡として描かれる世界に、私たちは何かしらの真実と野心を抱きながら、それぞれが立ち向かうべき世界へ向けて制作を続けてきました。そしてそのひとつの成果として、ここに5本の修了作品が生まれました。それらの作品が、来るべきこれからの未来に向けて皆様方の前に上映されることを心から感謝しております。 しかし、その未来は大きく変わろうとしているのかもしれません。私たちが向き合っていたと信じていた世界、それはいとも容易く崩れていきました。未曾有の災害に直面し、その以後を生き続けなければならない私たちにとって、映画もまた切実な現在を抱えています。

私たちがするべきことは、今までも、そしてこれからも、本当は何も変わってなどいないのかもしれません。私たちはただ、映画によってそれぞれの物語を語り、その世界を指し示すだけです。そこには、誰もが今ここにおいて欲するような都合のいい回答を用意することなどありえません。しかし、沈黙よりも、そこから生まれる幾多の音と映像のひとつになることを、私たちは選びたいと思います。誰かに作品が触れることで、映画はまた新しいひとつの完成を迎えます。そして、そこに映し出される、この脆く小さな物語たちが、それでも皆様方とのあいだで、この世界との新たな関係を築くささやかなきっかけとなり得れば幸いです。その出逢いの可能性に賭けること、それが私たちの作品がもちえる唯一の価値なのかもしれません。私たちは、そこからはじめたいと思うのです。

概要

主催:東京藝術大学映像研究科
共催:NPO法人映像メディア創造機構
製作協力:財団法人角川文化振興財団
協力:横浜市/ソニー株式会社/株式会社ナムコ
日程:2011年7月7日[木]▶15日[金]
会場:ユーロスペース
渋谷区円山町1-5(東急文化村交差点左折)
03-3461-0211|www.eurospace.co.jp

お問い合わせ:東京藝術大学大学院映像研究科事務室
231–0005横浜市中区本町4–44
電話 045 (650) 6200
ツイッターアカウント@geidai_film5

理容師

38分/35mm(Super16)/1.85:1/ステレオ/カラー

理容師の夫と同じく理容師の妻は、元理容師である妻の父から引き継ぐ形で理容室を夫婦経営しており、妻の弟も一緒に働いている。その弟の結婚式を目前に控えた日から始まる、ある理容師一家の数日間。

監督 秋野翔一 脚本 秋野翔一/元澤英悟 製作 山下佳奈子 撮影 北原岳志 録音 藤口諒太 美術 佐々木麗子  編集 川上響子 助監督 三間旭浩 出演 山田浩/遠藤祐美/清水大敬/管勇毅

秋野翔一 Shôichi Akino

1985年東京都出身。東京工芸大学芸術学部卒業。 在学中は山川直人に師事。2009年、東京藝大大学院映像研究科入学。主な監督作品に『ライムキャッチボール』(09)、オムニバス映画『紙風船(第四話「紙風船」)』(10)。

DIRECTOR'S VOICE

『理容師』は、題名そのままに理容室を営む理容師達のお話です。理容室とは、説明の必要はないかもしれませんが床屋のことです。理容室と美容室の違いについては国や地域によって異なりますが、日本においては読んで字の如く、容姿を美しくするところが美容室、容姿を整えるところが理容室と言われています。お話を聞かせてもらった理容師さんのひとりが、本来その人が持っている姿に戻し、整えてあげるのが理容師です、と仰っていたのが非常に印象に残っています。具体的な違いとして代表的なものに、理容師はカミソリの使用が許されているということが挙げられます。人を容易に傷つけることができる程に切れ味が鋭い理容室のカミソリ、そのようなものが顔や首元にあたっている状態にもかかわらず、非常にリラックスすることができる、させることができる理容室は、強い信頼関係のもとに成立している、なかなか特殊な場所だと思います。また理容室は、夫婦経営や家族経営であることも多く、自宅とお店を兼ねていることも珍しくありません。
それは公私に渡って多くの時間を同じ場所で、同じ人達と過ごすことになります。この作品は、そのような良くも悪くも多くの時間や出来事を共有せざるをえない環境に身を置いている、ある家族の物語です。

解説 筒井武文

夫婦の絆という主題は、前作『紙風船』から引き継がれている。同じく短篇である。しかも舞台が自宅のみに限られるという困難な枷まで同一である。秋野翔一は一九五〇年代の成瀬巳喜男なら扱ったであろう題材と、これこそが映画の王道だと言わんばかりに戯れる。引退した父親から引き継いだ理容店を経営する夫婦(山田裕、遠藤祐美)。妻の弟も理容師だが、結婚目前で、家を出るのが決まっている。この4人が食卓を囲むのもあと数日なのだ。ところが夫は病院の検査の結果を待ち、不安な心を隠して過ごしている。このシンプルな舞台設定から、秋野は夫婦の過去が目に見えるような繊細な表情を引き出すのである。とりわけ結婚式後の居間でのふたりが向き合わない位置での切り返しの絶妙なリズム、そしてふたりの結婚式写真を今頃撮ろうと、お互いが初対面の客と理容師を演じあう場面での、妻のうなじを剃るときのエロティシズム、そして世間話のなかで妻が結婚を決意するに至った真実が漏れる瞬間、まるで見てはいけない夫婦の秘密を目撃しているような映画の至福に満ちた描写に、秋野の本格長篇が見たいという期待が高まってくる。

MORE

113分/HD/16:9/ステレオ/カラー

ユリとモエコとアイは高校時代からの親友である。20代も終わりに近づくなか、彼女たちはそれぞれ違う環境で生活しながらも、今までと変わらぬ関係と世界を生きてきたつもり、だった。そんな彼女たちの人生に襲いかかる幾つかの出来事とちょっとした災難。恋愛と裏切り、過去と後悔、そして一冊の本とその秘密。出逢いと別れを繰り返し、混ざりあう時間のなかで、わたしの知らない物語に迷い込む女たち。砕けちった人生=物語は、いつしか様々な声によって語られ、重なり、ゆっくりとそのページが捲られようとしていた…。都市の片隅に暮らす男女が織りなす、切実さと可笑しさが寄り添う、ちいさな冒険にも似た人間模様。

監督・脚本 伊藤丈紘 製作 牛久保舞 撮影 下川龍一 美術 飯森則裕/髙井良崇 録音 渡辺一輝 編集 石井沙貴 助監督 後閑広/眞田康平 音楽 池田雄一 出演 小深山菜美/ 奥田恵梨華/三村恭代/岩瀬亮/足立智充/河井青葉/斉藤陽一郎

伊藤丈紘 Takehiro Itô

1984年宮城県仙台市出身。2009年、横浜国立大学大学院環境情報学府修了。同年、東京藝大大学院映像研究科入学。主な監督作品に『冷たい肌』(06)、『ADIEU』(07)、『あかるい娘たち』(08)、『ロードサイドストーリーの幻影』(09)、『how insensitive』(09)、『ZERO NOIR』(10)。

DIRECTOR'S VOICE

目で見てよく考えることはどうしてこんなに難しいのだろう。
ぼくらは何を見て、何を見てこなかったのだろうか。そして、そう思うのはなぜなのか。
物語の主人公は3人の女性だ。
彼女たちはまだ若い人生における悲しい出来事のひとつに出会う。そこで失うものは、彼女たちに孤独と無知を教えるだろう。そこにユートピアは存在しない。だから彼女たちは、それぞれの方法でみずから新しい物語を語ろうとする。知らない声に耳を澄まし、同じ風景のなかに違う世界を見つめだす。それだけが、彼女たちが世界に存在するための方法となる。二度目の彼女たちの人生は、結局また元のように戻れるのかもしれない。しかし、それはかつてと似ているようで、全く違うものとなる。交換可能であるかにみえた彼女たちの凡庸さ、その「取り返しのつかなさ」を見つめたいと思った。
くだらないことだらけで、通俗的で、愚かな彼らを、しかし誰が笑えるのだろう。本当に堪え難く惨めな人間たち、それはいったい誰なのか。人生のありとあらゆる可能性の中から消えていくもの、それをぼくたちは見ていたのか、気づいていたのか。碌でもない言葉を積み重ねながら、ようやくたどりつく諦念と疑念。また笑われるかもしれないが、別に構わない。つまりそれは、わたしとあなたの問題なのだから。届かない声はたくさんある。関係は目に見えない。でも、映画はそのためにこそつくられるべきだ。星は消えても夜は続くし、街の灯りはいまも絶えずに彼らを照らしている。映画=世界は、ぼくらと彼らを切り返す。
そして、ぼくのパソコンにはこんなメモだけが残った。
「孤島に生きるわたしたちが、別の島で語られる物語に自分がいることを発見すること。そのために島を旅立つこと、それぞれが命がけの航海にでること。いつの日か、映画が彼らの辿りつく大陸となること、しかしそれもまた仮そめであること」
もういちど、いまここにある無数の瓦礫のような物語たちを信じてみたいと思う。
なんて弱くて貧しいことなんだろうと思う。
だけどぼくは、『MORE』がそんな映画でありたいと願っている。

解説 筒井武文

闇を背景に雪が舞う。やがて窓が捉えられ、それが幼い姉妹の部屋であることが判る。25年後の妹の視点で、姉の語る物語に私が不在である恐怖が語られ、まるでダグラス・サークのメロドラマのように、美しくとも恐ろしい現代の御伽噺が始まる。東京藝大きっての技巧派である伊藤丈紘が、映画話法の極限に挑むかのような人工世界をつくり出した。縦軸は、OLの妹(小深山菜美)と女優の姉(河井青葉)の葛藤。横軸には、妹とフリーカメラマン(奥田恵梨華)とコールガール(三村恭代)の3人の女友達の友情。都合4人の女性に3人の男性(岩瀬亮、斉藤陽一郎、足立智充)を加え、愛の輪舞が織り成される。それは同時に魅力的な俳優たちの演技の饗宴が観客の目を楽しませる。そのなかで、過去を披露しあい、噓をつき、自分を肯定することに悩む女性たち。そうしたなか、ヒロインは破局の危機を迎えるが、甦るのは雪の降る幼き日の記憶だ。彼女は窓外から届かない声を過去に向かって投げかけるのである。そして伊藤的技巧の頂点をなす姉が妹に宛てた手紙を舞台上で語るシーンの編集の冴えはどうだろう。そこでの河井青葉の迫真の演技の恐ろしいまでの迫力。映画をポリフォニックなものとするという賭けに伊藤は勝利した。

しんしんしん

135分/HD(撮影フォーマット:REDONE 4K)/2.35:1/ステレオ/カラー

高校生の朋之は、テキヤの一家で暮らしている。実の息子に思いをはせる父親の芳男を先頭に、家族は行く当ての無い人々が寄り集まって作った疑似家族であり、それぞれが清算しきれない過去を背負っていた。そこに、身寄りの無い千里が家族に加わるが、突然の取り壊しにより家そのものが無くなってしまう。帰る場所を失った家族はそれぞれの行き先を見つけるためトラックで巡業の旅に出る。旅先での出会い、新しい経験を通して、一度は収束するかに見えた家族だったが、今までやり過ごしてきた問題にそれぞれ直面し、脆くも集団は崩壊し離散していく。朋之は手遅れになってしまったものを取り戻すため、走り始める。

監督・脚本 眞田康平 製作 山田彩友美 撮影 西佐織 録音 宮崎圭祐 美術 有馬佐世子 編集 片寄弥生 助監督 松尾健太 出演 石田法嗣/我妻三輪子/佐野和宏/奥津裕也/神楽坂恵/坪井麻里子/中村有/洞口依子

眞田康平 Kôhei Sanada

1984年石川県出身。2007年、金沢大学教育学部卒業。その後(株)ピラミッドフィルムに制作部として一年間勤務。2009年、東京藝大大学院映像研究科入学。主な監督作品に『脱皮する』(07)、『奴らは音楽している』(07/“世紀のダ・ヴィンチを探せ”国際アートトリエンナーレ入選)、『おめでと、ありがと』(09)、オムニバス映画『紙風船(第二話「命を弄ぶ男ふたり」)』(10)。

DIRECTOR'S VOICE

日本中がTVの中だと言ったのは誰だったか、現在はどうだろうか、インターネットの中か、どうもそんな感じがしない。かといって何かの中にあるのかというと、それでもなく、自分がどこにいるのか分からない。何時からだろうか。昔とか、今とか、未来とかそういった測りになるようなものが幾分か緩くなっている。自分が感じている現在は2011年の撮影現場であり、2002年の高校の美術室だったりする。果ては2005年頃の金沢の片町の裏路地や1999年の中学校の校庭もそうだ。
思春期の僕にとって20年前が70年代なように、今の若者にとって90年代が20年前だったりする。ノストラダムスはどうなったのか。世紀末は何の終わりだったのか。清算されないまま、思い出になってしまって、殆どのその果たされなかった何かが積み重なって、場末のスナックの古ぼけた台所に貯まっているのを感じる。
はっぴいえんどを初めて聞いたのは、高校生の時で、「しんしんしん」はキセルのカバーだったように思う。七尾のみやこ音楽堂でCDを買った。それから時間があいて東京で「ゆでめん」を聴いた。そのとき僕は就職活動中だった。
大学の時好きだった女の子が結婚した。高校生の時、実家の犬が死んだ。美術部の先生も亡くなった。地元の駅前が再開発で知らない町になった。ロケハンで行った福島が地震に巻き込まれた。
欠落の連続で人生が出来ているのなら、その瞬間をおさめていくのが自分の映画らしいように思う。それでも何かひとつぐらい報われてもいいじゃないかとその曲を聞いていて思った。
ほぼ後ろ向きの現在はどの未来に繫がっているのか。
「都市に積る雪なんか汚れて当たり前という そんな馬鹿な 誰が汚した」
40年前の歌詞に痺れた。それが普遍性というものだろう。誰が汚したかなんて本当は誰にも分からないのだ。

解説 筒井武文

河原で焚き火を始める高校生(石田法嗣)の背後に現れた豆粒のような人影が少女(我妻三輪子)だと知れるワンショットで、この映画の途方のなさが予感されるが、その期待は裏切られないどころか、現代日本映画に一石を投じる反時代的な野心作であることに驚愕させられる。手放した実の息子への郷愁を引きずりながら身寄りのない子を引き取って育てているテキヤの親父を演じる佐野和宏が自らの集大成のような存在感で圧倒し、彼を庇護するようなスナックの女主人役の洞口依子も素晴らしいが、彼女と別れて旅立つ瞬間から、ひとりひとり人数を増やしながら進むロードムーヴィとしての本作の魅惑が際立つ。トラックの荷台にて修学旅行気分で戯れる男女を描いた場面の美しさを始め、各人の感情がひたすら切なく、また迸る。佐野の息子を探しに行った石田が、そのアパートで正気を失った我妻に再会する場面の前後の不意の距離感の喪失は、まるで今村昌平の映画に鈴木清順の画面が挿入されたようではないか。水辺で火が焚かれる場面の反復に、監督眞田康平の物質的な想像力が伺われる。擬似家族の崩壊と再生を描いた壮大な叙事詩の誕生である。

返事はいらない

94分/HD/16:9/ステレオ/カラー

ミケとユウは一緒に暮らしている。ある日、ミケは音楽を作り始める。ある日、ユウは北海道旅行を計画する。そしてある日、ミケはユウにプロポーズするのだが……。少しずつ変化していく二人の関係、その始まりは何であったのか。戻りたいのか、進みたいのか、それすらも分からないまま、私達はどこへ向かえばいいのか?そうだ、北海道へ行くんだった。

監督・脚本 廣原暁 製作 山田彩友美 撮影 宮本佳史 美術 髙井良崇 録音 渡辺一輝 編集 片寄弥生 助監督 上田謙太郎 出演 佐藤貴広/太田順子/桝木亜子/坂本紘一/泉光典/小泉陽一郎/吉岡睦雄

廣原暁 Satoru Hirohara

1986年東京都出身。武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。2009年、東京藝大大学院映像研究科入学。『世界グッドモーニング!!』が2009年京都国際学生映画祭準グランプリを受賞。2010年ぴあフィルムフェスティバル審査員特別賞。同年、第29回バンクーバー国際映画祭ドラゴン&タイガー・ヤングシネマ・アワードにてグランプリ受賞。2011年には第61回ベルリン国際映画祭を始め世界各国の映画祭での上映が決定している。次回作はオムニバス映画『紙風船(第一話「あの星はいつ現れるか」)』(10)、ユニジャパン出資短編映画「遠くはなれて」(公開未定) 。

DIRECTOR'S VOICE

3月11日の震災によって、それ以前に作られた自分の映画が、まったく無意味なものになってしまったような気がした。「いつか東京に大地震が起こるんだよ」という台詞は、いつか起きることを知っていて、でもそれがいつかは分からずに、ただ待ち続けている僕たちを表していた。しかし、皮肉なことに、それが起きたのは東京ではなく東北であった。そのことがより複雑に、東京で暮らす僕に突き刺さる。僕が尊敬する諏訪敦彦監督は、今何ができるのだろうかと突きつけられている中で、ただ地道にやるしかないのかもしれないと言った。それは10年20年かけて考えなければいけないことだからと。僕は今、100年も前の映画を見ることができる。そして感動することができる。それは、100年前に作られたという事実を抜きにして、ただ、僕が知らなかった何かがスクリーンに映し出されていることによって、そしてまた、それでも今と変わらぬ何かが映し出されているという事実によって、僕は涙を流すことができる。映画は、20世紀という時代を乗り越えて来た。そして、きっとこれからも乗り越えて行く。それは映画の本質が、その場限りの「答え」にではなく、ただ「存在」を指し示すことにあるからだ。今、この瞬間、誰もが不安の中で、どうすればいいのだろうかという「答え」を手にしたい気持ちに苛まれる中で、映画はただ、私達の在り方を問い続けている。だから僕は、映画を撮ることを絶対にやめない。

解説 筒井武文

『世界グッドモーニング!!』で国内外を驚かせた廣原暁の新作は、24歳にしてはあまりにも幼いと思える男女の同棲生活である。ユウ(太田順子)は映画のサード助監 督、ミケ(佐藤貴広)は音楽家志望で美術予備校でモデルのバイト。男女のすれ違い生活が亀裂を生んでいくという設定自体はありふれたものである。特異な点は、この男女が一卵性双生児のように似ていることだろう。廣原はこの男女に深い愛情を注ぎ込む。不器用で、人付き合いも下手なふたりは、あまりにも純粋で傷つきやすい。まだ若い映画監督のアパートに逃げ込んだユウを取り返そうと試みるミケの必死の行動は可笑しくも悲しい。ふたりの北海道を目指した逃避行を描いた後半の大胆で省略の効いたモンタージュ。それにより前半はそれなりの厳しさを見せていた外部が、いきなりふたりを包み込む子宮のようなものに変容するのだ。廣原の組織する、このまるで夢のような停滞の時空の甘美さに酔わされる。もちろん、こうした時間が続くわけがない。そのことが、観客に映画の終わりを引き延ばそうと祈りにも似た気持ちを抱かせる。これは、21世紀の青春映画の傑作である。

PANORAMA

89分/HD/16:9/ステレオ/カラー

ある若い夫婦、春香と健次。春香は夫の健次に失望して、一人息子の卓也と一緒に家を飛び出してしまう。春香は息子を祖母に預け、再び夫の健次と向き合おうとするが……。一方でもう一組の若い夫婦がいる。琢磨と佳奈、結婚二年目で幸せそうに見えるが、琢磨には佳奈に知られてはいけない秘密があった……。二組の夫婦が織り成す個々の物語は交錯して散らばっていく……。

監督・脚本 吉川諒 製作 趙民映/李桓美 撮影 手嶋悠貴 美術 飯森則裕 衣装 佐々木麗子 録音 藤口諒太 編集 石井沙貴 助監督 加藤学/ヤング・ポール 音楽 鈴木治行 出演 玄覺悠子/ 島守杏介/内田慈/松浦祐也/三浦誠己/木野花

吉川諒 Ryô Yoshikawa

1985年奈良県出身。私立大学を卒業後、2009年、ビジュアルアーツ専門学校夜間部卒業。同年、東京藝大大学院映像研究科入学。主な監督作品に、『まわる日常』(09/イメージフォーラムフェスティバル2009 ジャパントゥモロー部門入選)、『タナトス』(09/ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2010オフシアターコンペ部門入選)、オムニバス映画『紙風船(第三話「秘密の代償」)』(10) 。

DIRECTOR'S VOICE

この作品には2組の夫婦が登場します。対照的な2組の夫婦によるエピソードが持続と切断を繰り返して語られ、その周囲にいる他者が何らかの形でこの夫婦に関与していく……。いわば、夫婦という内部とその外側にいる外部の人々との関係を描くのがこの映画の目的でした。また、撮影中いくつかの偶然が重なり、雑多な街の気配が写りこむようになりました。これが、結果的に映画を支える武器になったのではないかと思います。
雑多な空間の中で個々の人間が濃密というよりやや希薄な関係を築いていく、そして、最終的には個人として生きていく……そんな映画を目指しました。ファーストカットからラストカットに至るまで、最後までお付き合いして頂ければ幸いです。

解説 筒井武文

登場人物が全員悪人である映画を撮ろうとする欲望が、昨年この列島を駆け巡ったのではないか。そういう想像を誘う真打の作品がここに登場する。吉川諒による『PANORAMA』。作品の途中で、主人公がカメラのパンにより受け渡されるという大胆な構成の作品でもある。この交わらない物語がどう繫がるのか。借金を抱え、酒乱のと離婚を考えている妻(玄覚悠子)、しかも4歳の息子がいる。夫との大喧嘩の後、子供を連れて、昔の恋人のところに泊まりに行く。情事を目撃する息子の将来が心配にならない人はいないだろう。一見平凡なサラリーマンの夫(島守杏介)、しかし妻に隠している秘密がある。世間を騒がせている連続強姦魔の正体が彼なのだ。そのことを知った会社の同僚は休日に彼の家に押しかけ、そっと妻に夫の秘密を告げる。このどう見ても同情の余地のない登場人物たちを吉川は自分では押さえようのない人間の本性として追求する。その描写は容赦がない。ここで、本当はいい奴なんだとか、社会が悪いんだとかの逃げ道を与えない。その結果、なんとも硬質でほろ苦い映画文体と共に、映画のもつ潜在的な可能性を浮かび上がらせる。なんとも曖昧なラスト・ショットは、そうした無意識の産物ではないだろうか。

[comment]

今年もまたやってくれました。彼らがどうしてこう易々と学生映画とか日本映画とかいったワクを踏み越えていけるのか、まったく驚異です。もちろん才能と人間関係とたゆまぬ努力が揃ったからなのでしょうが、どうもそれだけではない。
ある者は平凡な男女のグズグズした青春を扱いながら、そこに世界全体を凝縮してみせるという超高度な技を身につけていますし、ある者はむせ返るような愛欲の交錯を活劇へと展開させる並外れた力量を示します。また別の者は映像センスと暴力こそが映画にとっての最高の力なのだと確信して、カラックスばりのやりたい放題で我々を魅了します。そうかと思うと、悠然とした大陸的叙事詩に挑戦し『ユリイカ』並みの完成度でひょいとそれを仕上げてしまうつわもの、あるいは家族の崩壊の予感を決して重苦しくせず、コンパクトな宝石のようにまとめあげる熟達したアルチザンまでが、わずか2年の醸造期間を経ていっせいに誕生したのです。
これがつまり個性ということでしょうか。5人いれば5つの個性がある。当たり前ですが、5つの個性が同時に世に放たれる今この瞬間、我々はひどく興奮し、何だかかすかな映画史の変革に立ち会っているような気さえしてくるのです。

黒沢清[映画作家/東京藝術大学映像研究科教授]

[comment]

東京芸大映像研究科映画専攻が7年目を迎えるが、決定的だったのは、やはり二期の濱口竜介による『PASSION』の出現だった。ここで現代映画のひとつのモデルを提示しえたからである(もうひとつの極には瀬田なつきの『彼方からの手紙』があるが)。後発世代にとっては、生のモラルを問うた濱口的主題と手法は乗り越えるべき壁であると同時に、そこからどう距離をとるかという課題が生じたからである。長編『ZERO NOIR』とオムニバス『紙風船』を撮り終えた五期の監督たちにとっても同様だったと思う。「ヒトがいる」「他者と関係をもつ」という単純な命題が映画にとっての原理だという共通項を持ちつつ、彼らはお互いと似ていない5本を生み出した。そこでは、現場の空気を凝縮し掬い取ることに徹する者がいれば、話法の極限的な洗練を計った者がいたり、欲望をまんま投げ出したり、大河小説的叙事に挑んだり、1950年代の映画と見間ちがわんばかりの古典性に回帰したりする者がいるという多様なアプローチを繰り広げた。その結果、「過去」と「未来」の中間地点に浮遊する、「現在」に似ていない「現在」というべき時空がここにある。古さと新しさという区分を無効にすると言っていいかもしれない。それは不条理な居心地の悪さを観客に強いるかもしれない。ただ言えるのは、見なくても済まされる映画はこのなかに一本もないという確信である。

筒井武文[映画作家/東京藝術大学映像研究科教授]

タイムテーブル|連日21時より

7 月7 日[木]

『理容師』(秋野翔一) 
上映後、監督5名+ゲストによるトーク(予定)

7 月8 日[金]

『返事はいらない』(廣原暁)

7 月9 日[土]

『しんしんしん』(眞田康平)

7 月10日[日]

『MORE』(伊藤丈紘)

7 月11日[月]

『PANORAMA』(吉川諒)/『理容師』(秋野翔一)

7 月12日[火]

『しんしんしん』(眞田康平)

7 月13日[水]

『返事はいらない』(廣原暁)/『理容師』(秋野翔一)

7 月14日[木]

『MORE』(伊藤丈紘)

7 月15日[金]

『PANORAMA』(吉川諒)