

映画学校の創設は,産業としての映画メディアの重要性に気づいた先進諸国が進めてきたものですが,我が国ではさまざまな理由からこの問題は顧みられてきませんでした。東京藝術大学では,昭和24(1949)年に文部省へ映像研究科の設置を申請し,認可されたにも関わらず,実現には至らなかったという歴史的な経緯がありました。
ここ数十年は,アジア諸国での映画学校の創設や振興策が進み,アジアからこれまでとは異なった才能が世界へ向けて花開きつつあることは,衆知の事実となっています。 本研究科は,学部を持たない独立大学院で,修士課程と博士課程を有しており,平成17(2005)年に設置された映画専攻から始まり,メディア映像専攻,博士課程の設置を経て,平成20(2008)年にはアニメーション専攻を設置しました。
映画は,言葉ではなく映像によって現代の物語を紡ぐ紡ぎ手であり,同時にその語り部の役割を担うことで,異なる言語の壁を越え,来るべき世界の物語を作り出す場となっています。物語を伝えるという意味では,映画は文学と比較されがちですが,映像は言葉以上の伝搬力がある,新しい表現メディアなのです。 アニメーションは,一般的に絵画の延長として考えられがちです。しかし,動かないからこそ生まれる表現としての絵画と,動くことによって「時」をとらえられるアニメーションの間には,大きな違いがあることを理解する必要があります。
こうした魅力的で,新しい表現世界を持つ映像メディアは,その表現を支えるメディア技術そのものの変化が非常に激しく,ともすると技術の新しさに囚われ,芸術表現の基礎を見失いがちなのです。
「文化」という言葉は,学問がある,あるいは読み書き能力があるという意味ですが,元来「Culture」という英語からの翻訳語です。また,「Agriculture(農耕)」という言葉があることからも分かるように,「Culture」には「耕す」という意味が含意されています。芸術文化は,言わば社会を耕すという重要な役割を負っているといえるでしょう。 また,芸術表現の本質は,生まれながらの人間が持つ「寂しさ」への抵抗です。他者とのコミュニケーションは,その「寂しさ」の共有であると言ってもいいかもしれません。ひとりの優れた表現者を育てることは,その「寂しさ」に面と向かう勇気を与え,それを表現へと昇華させる自信を与えることです。その意味で,大学院にいる間に,表現を通して人間の本質を掘り下げ,自分自身を耕して欲しいと考えます。
個々人の表現が,新しいメディアを通して社会に伝搬してゆく,そうした姿を私たちは夢見ています。

取得学位
修士課程 :修士(映像)
博士後期課程:博士(映像メディア学)