Interview 映画制作技術分野の修了生たち

映画はひとりでつくることができない。さまざまなプロフェッショナルなスタッフの力を結集して実現されるもの。撮影、美術、録音、編集といった仕事からみえてくるリアルな現場と映画との向き合い方を聞いた(2010年10月)。

現在を映し出す技術

インタビュー:佐々木靖之(撮影照明領域修了)

ささきやすゆき:1980年宮城県生まれ。ピクト所属、撮影チーフ。助監督、制作などの仕事を経て東京藝術大学大学院映像研究科在学中は撮影照明を専攻。近年撮影した作品に瀬田なつき監督『あとのまつり』(2009)『シャボン玉』(2010)など。

映画に対する考え

「もともと中上健次のような作家に憧れていました。中上みたいに書きたいと思っていた時期があって、けれど自分には中上が作品のベースにするような“自己”が決定的に無いと思ったことがありました。そのときに、なにかを反映するポジションが自分には向いているのではないかと考えました」。
高校生のときから映画を撮影してきて、大学を卒業し、助監督や製作の仕事をその後数年続けてきた佐々木靖之さんだが、この時期は自分がものをつくることについての試行錯誤の時期でもあったという。
「映画に対する自分自身の考え方が定まっていないままに続けていていいのか?
このままでは仕事として「こなす」だけになってしまうのではないか? 現場の作業によってすり込まれた経験によってしか映画を考えられなくなるのではないか? という疑問があり、作品に対して自分の姿勢を持つべきだと思い大学院で勉強をすることを選びました」。

いかに技術に還元できるか

それまで監督、助監督といった演出側をこなしてきた佐々木さんが、映像研究科で撮影照明を選んだ理由はどこにあったのだろうか? 「映画に対して自分の学ぶべきことを選択する際に、本当は全部学ばなければいけないんでしょうけれど、人物の演出や物語論に対する興味よりも、映画の文法、特にカット構成や編集をふまえた撮影法などについての興味が強かったので、撮影を選びました。
正直なところ、現場から離れてゆっくり勉強をしようと思っていたのですが、座学的な学校ではなかったですね。現在に繋がることとしていえば、撮影部として入ったわけですが、監督やそれぞれのスタッフと意思疎通をはかる共通言語を勉強する機会だったと思っています。
本来は、撮影する人間も監督と同じことを考えられなくては、撮影は成り立たないと思うんです。スタッフで共有すべき意味とか発想ですね。なにかを映し出す、見る、気づく、撮る、ということがどのように培われて、それをいかにして技術に還元できるのかということを続けざるをえないと思っています。画一的な答えはないわけですから」。

あとのまつり撮影風景
現在を映し出す

「与えられた現場で、つねに、仕事のクオリティには差がでないようにしたい」と佐々木さんはいう。これは「作家性」を常に際立たせたいということではなく、どんなときにも現場で共有されるべき必然的な方法や表現がそこにはあるはずで、それを求めていきたいというスタンスからだという。
「実際には、自分が映画を見るときには、作家性のあるカメラマンが好きなんです。だけど、いま現在ある状況の中で撮影をするときに、結果として作家性は出るかもしれないとしても、自分には必要ないと考えています。映像には、“現代"に対応しているものがあらわれることが大事だと思うからでもあります。作品がそのとき、自身の持つポジションに意識的であること。そういうことが撮影に現れることを求めているし、自分自身の理解の範疇を超えた映像が得られるのではないかと思っています」。
日本映画が培ってきた文法があるとされてはいるものの、それは50、60年代にあったものを引きずりすぎているのではないか? 撮影だけが時代と技術に対応しないで、現場でとりのこされているのではないか? 撮影者のエゴなのではないか?
佐々木さんは様々な問題を自らに課して、撮影という行為を厳しく問い直しながらキャメラと対峙している。
(2010年10月)